DIARY:私のローマ / オレンジの樹と、鐘の音 その5

ローマのピラミッド、ローマのエジプト

 


 

 

 

 

オスティア・アンティーカへ行く朝。

オスティエンセ広場 Piazzale Ostiense 角のチェント ペルチェント ビオ 100%BIO というビーガンのカフェでスケッチしました。

 

 

 

 

 

ピラミデという駅名の由来の、駅前に建つガイウス・ケスティウスのピラミッド。

ローマにピラミッドがある理由は、ローマ軍がクレオパトラ(紀元前69年〜30年)を破りエジプトを征服した後、エジプト風のピラミッドの墓がローマの富裕層に流行した名残り。
私が初めてローマに来た時、タクシーから見えたこの
ピラミッドはとっても不思議でした。

 

 

紀元前18年〜12年の間にガイウス・ケスティウス・エプロの墓として建てられたローマのピラミッド

 

 

2012年〜2015年の修復の際に八木通商という日本の会社がスポンサーになり、外壁だけでなく、内部の美しい壁画も修復されました。

 

ローマを歩くと、エジプトを想わせる風景が多いことに気づくはずです。
象形文字が刻まれたオベリスクが広場に建ち、ローマの街にとけ込んでいます。

 

 

 

 

 

パンテオン前ロトンダ広場のオベリスクはラムセス2世のオベリスク、ミネルバ広場の子象が担ぐオベリスクはウアフイブラー王のものです。
その他、ポポロ広場、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場、モンテチトーリオ広場などが本物のエジプトのオベリスクです。

 

 


 

 

 

18世紀の建築家ピラネージ Giovanni Battista Piranesi (1720-1778)はヴェネツィア生まれですが、ローマに憧れて20歳で移住します。
彼は生涯に渡ってローマの古代遺跡や街並みを調査し、描き続けました。
ピラミッド やオベリスクのある風景画も描いています。

 

 

ピラネージが設計したアヴェンティーノの丘 マルタ騎士団広場。

 

 

実際にピラネージがローマに住み始めた時代には、ピラネージがイメージしていたローマらしい風景は少なく、彼は次第に郊外の遺跡に野営して描いたり、奇想の風景も描くようになります。

パリ生まれの画家ユベール・ローベル Hubert Robert  (1733-1808年)はピラネージを師と仰ぎ、ローマの風景をカプリッチョというコラージュ的構成で多く描いています。

 

 

静岡県立美術館 紀要よりピラネージのピラミッド(左)、国立西洋美術館 ユベール・ローベル展 図録より(右)

 

 

ガイウス・ケスティウスのピラミッドの裏に、保護猫の施設公園や外人墓地があるそうで、そこから眺める美しいピラミッドの風景を、私もいつか描いてみたいのです。