DIARY:私のローマ / オレンジの樹と、鐘の音 その13

ローマでの不思議体験

 


 

 

 

旧友のKさんが知り合いの店で昼食を、と誘ってくださいました。

 

待ち合わせの場所の サン・ジョヴァン二・イン・ラテラーノ大聖堂Basilica di San Giovanni in Laterano へ。
少し早めに着いたので、大聖堂を拝観しました。

 

ローマの四大バジリカのひとつで、教皇庁がヴァチカンに移るまで、歴代の教皇たちがこの教会に隣接するラテラノ宮殿に暮らしたそうです。
1929年2/11に、ローマ教皇とイタリア王国との間で政教条約が結ばれ、イタリアからヴァチカン市国が独立する際の調印の舞台ともなりました。

 

 

青空に映える大聖堂のファサード

 

 

 

17世紀の建築家、フランチェスコ・ボッロミーニ Francesco Borromini に委ねられ、聖堂は大規模な修復工事が行われて現在の佇まいに。
各時代の様式を活かした迫力ある空間、拝観するたびに、この構成力に唸ります。

 

 

翼廊には法王専用の祭壇。

 

 

祭壇上部の美しい14世紀の幕屋の隙間から聖ペテロと聖パウロの聖遺物を仰ぎ見ることができます。

 

フォロ・ロマーノから移された青銅の扉。

 

 

 

待ち合わせに現れたKさんは、何故か登山でも行くかのようなファッション!?

地元でシーフードの昼食を、という予定でしたが、彼女の気まぐれでオスティア・アンティーカへ行こうと言い出しました。
前回に歩けなかった遺跡を歩こうと、行く気満々です。
直前までメールで何度もやりとりしていたのに! 聞いてない〜。(笑)

 

今日の私自身の服や靴ではオスティアへは行けないことを話すと、Kさんは、ならば、知り合いのアッピア街道の素敵なトラットリアへ行こうと。
仕方なくバスに乗車。セバスティアーノ門を潜り城壁外へ。

 

 

アッピア街道の起点のセバスティアーノ門

 

 

 

 

そして彼女のオススメのトラットリア  へ。

 

 

アッピア旧街道沿いのお店。

 

 

 

トラットリアは閉まっていました。

どうやら、Kさんは事前に調べていなかったようです。
夏に彼女が来日した2週間、私は宿探しやツアーの予約など、彼女の希望を全てコーディネートしたのに、ちょっと寂しかったです。

近所にお店があるとKさんは歩き始めました。
車が通らないカタコンベの道を提案しても、バスの乗車もNo !
あの交通量の多く狭いアッピア旧街道を、華奢な靴で延々と1km以上歩き、ボトルのお水も持っていなかったので、私は体力を消耗してしまいました。

 

 

サン・セバスティアーノ聖堂 Basilica di San Sebastiano 前の、水飲み場 Nasone がありがたかった!

 

 

矢を浴びた聖セバスティアーノ。ペストからの守護、兵士の守護聖人。

 

 

 

小学生の頃、私はソドマ Il Sodoma(1477- 1549) が描いた聖セバスティアーノの、濁りのある陰影や牧歌的な背景が好きで、この絵を栞にしていました。
思いがけず聖堂に再訪できました。

 

 

 

聖堂前で私のiPadが何とか繋がり、近所にリストランテを発見。

紀元前1世紀に建てられた遺跡、チェチリア・メテッラ 霊廟  Mausoleo di Cecilia Metella  の近く、クラブハウスのような雰囲気の GARDEN RISTO というお店が何とか予約なしで受け入れてくださり、昼食にありつけました。

 

 

 

チェチリア・メテッラ・エ・カストルム・カエタニ霊廟、エレガントな佇まい。

4世紀のマクセンティウスの競技場の跡

 

 

 

 

帰り道、Kさんにはアッピア旧街道の車道ではなく、サン・カッリストのカタコンベの道を提案し、そちらを歩きました。
Kさんはこの道をご存じなかったようで喜んでいました。

 

 

カタコンベの並木道。

 

この地下には4層構造の12万平方メートルの規模の共同墓地があります。
音楽の守護聖人の聖チェチーリアの聖遺物が最初に葬られたのもここですよ。

 

場所柄か、歩きながらKさんとローマで心霊体験の話題に。
私は1994年から滞在した部屋で不思議な体験があったので、話しました。

 

 

 

 

1994年当時、モンティ地区の古い広場に面した建物に住んでいました。
Kさんは一つ隣の部屋にお住いでした。

 

ある夜、私が寝ていると金縛りにあって、身体が動かなくなりました。
目だけ動き、ベッドの横にはいつもの床ではなく、地下へ降りる立派な階段が見えるのです。。。

地下の暗闇から美しいドレープの寝間着を着た少年が階段をのぼってきます。
(最近見た、ボルジア家を描いたドラマの、登場人物の寝間着に似ていました。)

彼には首がないのですが、私のベッドの毛布に潜り込んでくる時には、首やお顔があって、可愛い4-5歳くらいの亜麻色の髪の男の子なのです。
母親と間違えているのか甘えるような雰囲気で、でも、私は恐怖のあまり気を失いました。
何回かその体験、または夢を見ました。

 

 

Kさんは大変驚いて、そして、私たちが住んでいた建物は昔は教会だったらしい、地下鉄駅を建設する時に多くの遺跡が出土したけれど、うやむやになってしまったらしい、と話してくれました。

 

 

カタコンベの上で夕暮れになってしまいました。

 

 

Kさんから私たちが住んでいた建物が教会だった、という話を聞いて、今日は随分と遠回りして歩いたけれども、この話を聞くためだったのか、と解釈することにしました。
Kさんと私も、きっと何か縁があるのでしょう。

 

 

 

帰国後、私が時々見ている、ローマ情報サイト  Roma Ieri Oggi が1676年と、1668年の地図に基づく1773年の古地図をアップしていて、確かに私が住んでいた建物にチャペルの印があること確認できました。
建物というよりも、チャペルの真上に住んでいたことになります。

教会ならば地下に墓地があるかもしれませんし、ローマは多くの戦いに巻き込まれているので、あの寝間着の少年はもしかしたら被害者なのかもしれません。
妄想ですが。。。

 

 

ローマでの不思議体験を、まさかカタコンベの上で語るなんて。
この日の午後は不思議でした。
まるでミステリー・ツアー。