カノーヴァのカフェ、ローマ散策&お買い物、ゲットー
旅の八日目。
友人と待ち合わせている、カフェテリアへ。
リストランテ・アトリエ・カノーヴァ-タドリーニ Ristorante Atelier Canova Tadolini 。
彫刻家のアントニオ・カノーヴァ Antonio Canova(1757-1822) の愛弟子のアダモ・タドリーニ Adamo Tadolini (1788-1868)工房をリストランテとバールに改装した空間。
スペイン広場からポポロ広場へ通じるバブイーノ通り Via del Babuino に面しています。
カノーヴァはヴェネト州出身で、ローマを拠点に活動。
ミケランジェロ(盛期ルネサンス)、ベルニーニ(バロック)の次の時代を継ぐ位置の、新古典主義の彫刻家です。
教皇や王族、ナポレオンなどからの注文で、多くの彫像や記念碑などを制作しました。
カフェテリアで私はアイスコーヒーとコルネットをオーダー。
ローマ在住の友人が東京に短期滞在するので、そのための打ちあわせをしました。
この界隈は西側にアカデミアもあり、ギャラリーも多く、芸術家のスタジオがいくつもあったことで知られています。
彫刻家のファッツィーニ Pericle Fazzini(1913-1987) のスタジオも、となりの道のマルグッタ通りにあったそうで、彼を慕い、集う人が絶えなかったと聞きます。
そう、このファッツィーニのスタジオのことは、随筆家・イタリア文学者の須賀敦子さん(1929-1998)がご著書の「時のかけらたち」で書いていらっしゃいますね。
ある日、バブイーノ通りからマルグッタ通りに迷い込んだ須賀さんは、ファッツィーニのアトリエにたどり着き、居心地のいい穴ぐらをみつけたノラネコみたいに、ほっとした、と、お書きになっています。
須賀さんのご著書「ユルスナールの靴」「時のかけらたち」などは、1990年代の私のローマ滞在帰国後に出版されましたので、滞在時は、須賀さんのご著書について無知でした。
ですので、マルグッタ通りに居心地の良さを感じて、寛容な工房の隅で半日座って過ごしてみたり、孤独と共にローマを歩くうちハドリアヌス帝に心惹かれ、当時、まだ世界遺産にもなっていなかった郊外の寂れたヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌス帝の別荘)まで、独りで行ってしまった私としては、須賀さんの随筆との出会いは、孤独をわかちあう、美をわかちあう、驚くべきものでした。
友人と別れた後、私はパンテオン界隈へ向かいました。
パンテオン通り Via del Pantheon にある Il Papiro へ。
Firenzeに本店がある、あまりにも有名なお店ですね。
お店のマダムがお声をかけてくださったので、Il Papiroの紙を用いて卵のオブジェを作っていることをiPadで示しながら話しました。
木製の卵に包装紙などを張り込み、日本画の岩絵具や顔料でスミレを描く、春の復活祭にちなんだ小品です。
すると、マダムは大変に喜んでくださって、「あなたの作品のために。」と、水色のマーブル紙をプレゼントしてくださいました!
美しい紙に心寄せる方との出会い、嬉しいひとときです。
2017年 すみれ絵展 では、マダムとの約束を守って、いただいた紙を構成し卵のオブジェを作りました。
近所の画材店 ポッジ Ditta G.Poggi Belle Arti dal 1825 へも足を運びました。
Poggiでは顔料と、気になっていたPoggiオリジナルのノートを購入。
学生用のノート風ですが、この手のノートを私はよく使うのです。
丁寧なノートの作りに感心し、調べてみたら、ローマを拠点に主に紙製品をデザインする 7 Nodiという工房製でした。
さりげない製品ですが、イタリアらしさが溢れている気がします。
サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会San Luigi dei Francesi で、カラヴァッジョの三部作を。
午前中の拝観に間にあってよかった。
窓からの自然光が、なめらかな画面に反射しています。
このチャペルの前でうっとりと見入っていた巻き毛の青年は、私が滞在している修道院の食堂で、朝にご一緒した方でした。
彼にとって実り多い旅でありますように。
続いて、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の回廊、キオストロ・デル・ブラマンテへ。
ここのカフェテリアの美味しいお菓子を絵画教室の受講生へのお土産にしようと思います。
イタリアの伝統の味、というものではないのですが、ローマ最先端のアート・シーンの味を伝えたくて。。。
キオストロ・デル・ブラマンテのブックショップ では、自分用に、100%イタリア製だそうな SAVE MY BAG を購入。
バッグはウェットスーツの素材で軽くウォッシャブル。
重い作品や画材を入れて持ち運びしつつ、ちょこっとコンサバなデザインで仕事用に使えそう。
当時、東京での取り扱いはありませんでしたが、最近では日本各地に店舗ができたようです。
この日は暑かったので、カフェテリアでミックスジュースを。
ひと息して、ゲットー(旧ユダヤ人街)界隈へ向かいます。
途中、朝市(観光客向け)で有名な、カンポ・デ・フィオーリ Campo de’Fiori を経由しました。
市場近くのビスチョーネ広場 Piazza del Biscione の大好きな窓。
カンポ・デ・フィオーリ界隈は小さな美味しいお店や食材店があって、ちょっとつまみに入るのも楽しいですよ。
上質なギャラリーもあります。
ゲットー(旧ユダヤ人街)界隈 Ghetto へ。
この地区を代表する広場と噴水の、マッテイ広場 Piazza Mattei と亀の噴水 Fontana delle Tartarughe 。
水盤から亀が落ちそうな愛らしい意匠。
広場に面するマッテイ宮殿 Palazzo Mattei も個性的で美しい宮殿です。
いくつかの地区が交わり渾然とした、興味深い界隈です。
マッテイ広場から道なりに進むと、北側に クリプタ・バルビ考古学博物館 Crypta Balbi が位置する
広大なブロックがあります(博物館入場口は反対側)。
1981年に国が買収したこの敷地は、古代の劇場 テアトロ・ディ・バルボ Teatro di Balbo 跡地です。
博物館では、古代地下遺跡から現代までのローマの地層構造を見せ、土地ゆかりの発掘品、生活様式や景観の変化を展示しています。
博物館の窓から見える発掘現場、ローマの構造(内臓のような)が見られる興味深い風景です。
隣のブロックのマッテイ宮殿あたりまで古代の劇場でしたから、丁寧な調査が進められ、いつか公開されることを期待します。
遠景にヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(1925年完成)のクアドリガの彫像と女神の翼が青空に羽ばたき、隣のゴチック様式のサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会も望めます。
マルガナ広場 Piazza Margana 。
ローマらしくフジの蔓がふっくらとバルコニーに絡んでいます。
この建造物は、古代遺跡の円柱やレリーフなどが壁に埋め込まれ、私が大好きな雰囲気です。
2000年のミレニアムを機に、漆喰が盛られ(?)てしまいましたが、イオニア式の柱頭を飾った花崗岩の円柱があります。
下の画像は同じ場所の1994年。
当時は、漆喰にフレスコ装飾跡がうっすら残っていました。
この円柱は、道なりに約200mほど離れたトリブナ・ディ・カンピテッリ通り Via della Tribuna di Campitelli のアーチが楽しい建造物の円柱と似ているな、といつも思います。
このあたりは、かつてジュピターとユノの神殿や、アウグスティヌスの姉妹のオッタビアのための図書館があった場所で、同じ建造物の一部だったかもしれません。
この花崗岩はどこから運ばれてきたのでしょう?
確かに、古の人たちが加工し運び、ここに存在する。
想うだけで楽しい。
ポルティコ・ドッタヴィア通りのVia del Portico d’Ottavia の 窓。
ここも古代建築の一部が建材として用いられ、若い頃の私は魅せられました。
人々の悲喜を、窓はずっと見つめてきたのでしょう。。。
ひっそりとして人影もない地区でしたが、現在ではテラス席に観光客がいっぱいの人気エリアになりました。
オッタビアの列柱 Portico d’Ottavia 。
古代と現代の時がキュビズムのように交差する風景。
オッタビアの列柱の南に隣接して、紀元前に建てられた
マルチェロ(マルケルス)劇場跡 Teatro Marcello があります。
この劇場前に立つ、アポロ神殿跡の白く美しいコリント式列柱もローマらしくて好きな風景です。
写真を撮り忘れたので、若い頃のスケッチを。。。
道なりに歩いて、丘を越えて、花盛りの遺跡を歩いて帰りました。