サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へ
早起きをして、ホテルでコルネット(甘いクロワッサン)とカップッチーノの朝食を済ませBasilica Papale di Santa Maria Maggiore サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 へ向かいました。
カヴール通り Via Cavour をテルミニ駅方面、つまり、エスクイリーノの丘に向かうと、オベリスクのあるエスクイリーノ広場 Piazza dell’ Esquilinoと、大聖堂の後陣が見えてきます。
ローマにはヴァチカン市国に属する四大聖堂があり、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂もそのひとつ。
エフェソス公会議で、マリアが「聖母」として公認され、その記念に聖母マリアに捧げるための聖堂として、5世紀に建てられました。
教皇リベリウス Pope Liberius が356年の夏に見た、『雪の降った地に聖堂を建てよ』という夢のお告げどおり、真夏にもかかわらず雪が降った地としての伝説もあります。
聖堂内は多くの巡礼者がいらしていました。
祈りの場でもあるため撮影を控えましたが、36本のイオニア式円柱のリズムが美しい空間です。
主祭壇の後陣のモザイクはヤコポ・トルリーティ Jacopo Torriti 作。
5世紀の後陣を壊して造られたそうです。
聖母マリアのための聖堂らしく、マリアがキリストと同等に描かれているように感じます。
キリストがマリアに冠を授け、周りの天使たちは楽器を奏で賛美、植物のアカンサスの渦巻き模様で背景を囲み、動きのある構成です。
アカンサスの繁殖力や植物としての美しさを、このように表現することが何とも愛おしい!
ローマの遺跡でも見かける常緑多年草のアカンサスは建築物の柱頭や装飾などでも良く用いられます。私も初夏にフォロ・ロマーノで描きました。
このアカンサスの葉は「芸術」「技巧」の象徴でもあり、私の母校の東京芸術大学の校章でも用いられています。
モザイクに続き、主祭壇の右手列柱の床、彫刻家ベルニーニの一族のお墓にも祈りを。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は主祭壇を挟んで、左右に大きな礼拝堂があります。
こちらは右手にある教皇シクストゥス5世の埋葬地、システィーナ礼拝堂 La Cappella Sistina 。(ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂はシクストゥス4世にちなんだ名称。)
ベルニーニ一族の墓の潔い美しさ。
一方、教皇シクストゥス5世 Pope Sixtus Ⅴ =Felice Peretti のローマへの貢献を想えばこの豪華な礼拝堂も納得です。
教皇シクストゥス5世は、ローマ劫略後の荒廃した街を、5年という短い在位の間にバロック様式に改造した人として知られます。
悪化していた財政を立て直し公共工事に投資、ローマの街でおなじみのオベリスクのある風景も教皇の都市計画によるもので、教皇は古代遺跡からオベリスクを運ばせ、それぞれの広場に建てさせました。
数々の道や水道を整備し、巡礼者の導線を造ったのです。
教皇シクストゥス5世の1585年5月の戴冠式には天正遣欧使節の4人が参列。
日本とも繋がっていることが嬉しい。
主祭壇の左手にある パオリーナ礼拝堂 La Cappella Borghese は、ボルゲーゼ家出身の教皇がマリアのイコン画を納めるために建てたそうで、何より、この礼拝堂の造営のために彫刻家ベルニーニの父のピエトロの家族がローマにやってきました。
『ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた』
とまで賞賛されたジャン・ロレンツォ・ベルニーニ Gian Lorenzo Berniniは当時はまだ幼かったそうで、一家が住んた部屋はパオリーナ礼拝堂の裏の街角に残っています。
一階がバール Bar の建物で、壁に石碑があるのですぐ見つかります。
聖堂地下の博物館も鑑賞しました。
博物館では代々の祭具や、キリスト降誕の場面を描く彫刻のプレゼピオなどが展示されています。
ベルニーニの間へ行く廊下でムカデに遭遇、色々な意味で怖かった〜。
博物館を出て、売店でお土産を購入。
聖堂には他にもピエロ・デラ・フランチェスカの作品や、2階のロッジャのモザイク画、ベルニーニの階段などもありますが、また、改めて。
ホテルのチェックアウトの時間があるので部屋に戻ります。