港町の遺跡、オスティア・アンティーカの美を訪ねて。
友人二人と待ち合わせて、ローマの海辺の遺跡オスティア・アンティーカ Ostia Antica へ行きました。
友人のおひとりは、初夏にもご案内くださったローマ在住の Edicolante さんです。
イタリア各地を旅され、食の知識が豊富でいらっしゃる方です。
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ピラミデ駅の由来になった、古代の富裕層のピラミッド型の墓。
地下鉄B線のピラミデ駅から乗車し、ローマ・リード線でオスティア・アンティーカ駅 Ostia Antica下車。
オスティア・アンティーカ駅前の歩道橋横に小さなバールがありました。
バールが開いていれば、水などの買い物や軽食をとることが可能です。
Google Earth などで道順のチェックを。
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ここはどこ?などの書き込みが微笑ましい、ちょっとわかりづらい案内。さらに南のオスティアはローマから約1時間で来られる海水浴場。東京にとっての江ノ島や湘南の雰囲気です。
駅からまっすぐの道を徒歩で5~10分、無事にオスティア・アンティーカ に着きました。
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猫がいるので嬉しい。
ローマから25kmほど離れたオスティア・アンティーカは、初代皇帝アウグストゥスが海軍の拠点を近くのミセヌム港に置いたため、皇帝たちの生活を支える水準の、商業の街として栄えました。
ポンペイのように古代の街並みをイメージし、歩くことができます。
一日では観光しきれない規模なので、大通りのデクマーノ・マッシモ Decumano Massimo をメインに無理せず歩くことにしました。。。
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晴天のオスティア・アンティーカ。大通りのデクマーノ・マッシモ Decumano Massimo
オスティア・アンティーカで思い浮かべるのは、ローマ国立博物館(マッシモ宮 Palazzo Massimo) でアイドル的存在の、オスティア出土のアルテミスの像です。
狩猟の女神ですから動きのあるポーズ、タレ目がちで、イタリアの少女のようなお顔です。
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ローマ国立博物館(マッシモ宮)1999年撮影 by Katsumi Mochizuki
マッシモ宮の図録には、このアルテミスの像は Terme dei Cisiarii で1922年に発掘と説明があります。
オスティア・アンティーカの入口のローマ門右手の浴場跡あたりで発掘されたようです。
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アルテミスの像が発掘された馬車屋の浴場跡。奥は現在の農園の屋舎。
少し歩くと、ネプチューンの浴場跡 Terme di Nettuno が見えてきます。
大きな浴場で、修復されたモザイクの一部を観ることができます。
白黒のモザイク画を床に施すことは、古代ローマでは大変優雅なスタイルだったと読んだことがあります。
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ネプチューンの浴場 Terme di Nettuno 、商店街と浴場といった趣です。
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モザイク画を俯瞰で。
誰かがオレンジの皮で笑顔を。 ありがとう。 🙂
円形劇場の跡。
アウグストゥス帝によって造られ、さらにセヴェルス帝が再建。
歌い、踊ることができたら即興でパーフォーマンスしたい。
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親友が席に座って待ちくたびれています。
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オスティア・アンティーカ的構図
ケレス神殿 Tempio di Cerere
オスティアの交易商人の組合所は、この神殿を取り囲むようにあったそうです。
かつては美しい街だったオスティアは、現在では潮風にさらされ、大理石や漆喰が落ちて煉瓦がむき出しになっていますが、ローマ国立博物館(マッシモ宮)の皇帝アウグストゥス像前に展示の美しいレリーフが施された柱の一部に、当時の繁栄や洗練を感じる事ができます。
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ローマ国立博物館に展示のオスティアの柱廊の一部。美しいレリーフ。豊かなガーランド、左下にはローマの象徴の狼と双子も。
古代の賃貸集合住宅=インスラ に関する説明がありました。
オスティア・アンティーカのインスラは保存状態も良く、当時の民衆(下流〜中流)の暮らしぶりを身近に感じることができます。
インスラは1階は食堂や店舗で、2階は草花を育てられるバルコニー付き。
建物は6階〜7階でローマには5万棟近くあったと言われています。
ローマ中心部ではヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の横にひっそりとインスラ跡が残されています。
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むき出しの煉瓦。実は煉瓦を焼いた当時の年号が刻まれ、盛り方も時代ごとに異なる。
現代のバールを想わせる、古代の居酒屋 テルモポリウム Thermopolium 。
インスラの各部屋には水道がなかったので、外食が中心だったようです。
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カウンターにアンフォラ(壺)が置いてあります。
紀元前のフレスコ画、具象表現は時空を超えますね。
私にもオーダーできそうです。
当時も旬の食材や生簀の魚介類、肉類などがありましたが、冷蔵庫のない時代でしたから、穀物、豆、乾物、塩漬け、蜂蜜漬け、腸詰、発酵食品等が工夫され、食されていたようです。
そういえば、1990年代のモンティ地区に古代のお菓子を作るパン屋がありました。
古代ローマの庶民が食べたかはわかりませんが、ドライフルーツやナッツ、蜂蜜、チーズなどを用いた美味しいものでした。
エジプトで食べた蜂蜜味の強いお菓子に似ています。
アンフォラと呼ばれる壺。
様々な大きさがあり、ワイン、オリーヴ、オリーヴ油、乾燥ナツメヤシ、乾燥イチジク、魚の塩漬け、サフラン、香辛料、ガルムと呼ばれる魚醤などが入っていたそうです。
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地中に埋まった巨大なアンフォラ。
オスティアの博物館 Museo Ostiense (Museo archeologico Ostiense)。
発掘品や、オスティアにあったミトラ教の彫像なども観ることができます。
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ハドリアヌス帝のお妃のヴィビア・サビナがいました。
オスティア出土で、ローマ国立博物館に展示されている美少年のアンティノウス(左)。
皇帝ハドリアヌス(右・こちらはオスティア出土ではない)に寵愛されるも、18歳でナイル川でワニに襲われ溺死してしまいました。
ローマではこの二人が一緒に展示される事が多いです。
アンティノウスの像の中でも、これは幼く愛らしい表情。
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皇帝の愛人のアンティノウスの首像の完成度を見るだけでも、オスティア・アンティーカの当時の繁栄が感じられます。
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ローマ国立博物館(マッシモ宮)1999年撮影。アンティノウス by Katsumi Mochizuki
このアンティノウス像は Campo della Magna Mater で出土とあるので、遺跡の南端のあたりでしょうか。
周囲は緑地や農地が広がり、未だ多くの遺跡が眠っているようです。
画像はありませんが、オスティア・アンティーカの西端の皇帝の宮殿跡近くトル・ボアッチアーナ Tor Boacciana 出土で、現在はヴァチカン博物館 ピオ・クレメンティーノ美術館 肖像の間に展示の
ルキウス・カエサル、あるいはガイウス・カエサルの胸像は(共に若くして亡くなったアグリッパの息子でアウグストゥス後継者。)きめ細かなイタリア産白大理石を用いて、若きナポレオンのような面影です。
新古典主義のアントニオ・カノーヴァの作品と間違えた説があるほど洒落た雰囲気で、あの作品も当時の繁栄やクオリティの高さを物語っているように思います。
オスティア・アンティーカ Parco Archeologico di Ostia Antica
Via dei Romagnoli 717 – 00119 Roma
公式サイト official site:Ostia Antica
遺跡の登り降りもあり、運動靴や登山靴をオススメします。
ブックショップには、可愛い白黒モザイクのテーブル。
オスティア・アンティーカの猫たちは幸せです。
今回は、半日過ごし、オスティア・アンティーカの1/3ほど歩きました。
さらに西には皇帝の七賢人の浴場、皇帝の宮殿もあります。
春か初夏に再訪できますように。
edicolante さん、Kさん、今回も旅のフォローをありがとうございました。
フェリーニが愛したというオスティアのリストランテにも行ってみたい。
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Edicolanteさんが撮ってくださいました。なんだか嬉しそうな私。
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今日はおしまいです。。。